今月のフェミニスト本『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど』

高橋幸『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど ポストフェミニズムと女らしさのゆくえ』を地元の図書館に頼んで買ってもらった。

 

ポストフェミニズム

 

「ポストフェミニズム」ということばを知ったのは河野慎太郎『闘う姫、働く少女』だったように思う。よく覚えておらず「ポストフェミニスト」と「アンチフェミニスト」とごっちゃになっていたけれど、この本を読んで整理できた。「ポストフェミニスト」はアンチのように政治的思想としてフェミニズムに反対しているのではなく、「もう男女平等は達成されたからフェミニズムは必要ない」「私はジェンダー差別を経験していない」といった個人の体験・経験に基づいた考えらしい。「女性は被害者である」というフェミニズムが掲げてきた(ように見える)女性像への反発もあるようで、「私は被害者ではない」「私は自分がしたいから料理をする。夫と私は対等である」といったポストフェミニストの主張が分析されていた。私が大学で教わっている先生は、「もちろん女性同士の間でも立場は異なるけれど、『女性として』苦しんでいることを主張していかなければならなかったのだ」ということをよく言っている。そこから「女性は被害者」と主張しているように思われたのかもしれない。でも、「押し付けられた女性像に反発する」のはむしろフェミニズムだと思う。フェミニズムはなぜこんなにイメージが悪いのだろう? 誤解している人がかなりいるように思う(フェミニズムが一枚岩でないのは当然として)。

 

メディアで表象された「ポストフェミニスト」として、ブリジット・ジョーンズが紹介されていたことが面白かった。今年、『高慢と偏見』を読んでから映画版の「ブリジット・ジョーンズ」を観てみた。仕事をやりつつ、禁酒やダイエットに励むブリジットはとても「共感できる」ものだったけれど、確かにブリジットの最終ゴールは「結婚(=安定)」だ。三部作の最終作には、ロシアンフェミニストのデモのせいで渋滞が起きるというくだりがあるらしく、そこで出てくるというやり取りにびっくりした。ロシア人への偏見も入っていそうだ。

 

日本では

2部構成で、1部は北米・ヨーロッパにおけるポストフェミニズム現象、2部は日本のポストフェミニズムについて書かれている。日本の方は、雑誌『CanCam』と「めちゃ♥モテ」ブームの分析と、ソフレ(添寝フレンド)の分析とインタビュー。日本では雑誌において「フェミニズム」ということばが慎重に避けられてきた、という指摘になるほどと思った。『Seventeen』にはたまにジェンダー問題の話が載っているけれど、「フェミニズム」として特集を組まれていることは見たことがない。

雑誌やポップカルチャーも経済と無縁ではない。

 

「ポストフェミニズム」に関し掘り下げてられており、面白かった!ラストの一文にも勇気づけられた。

経済とジェンダー、ポストフェミニズムも最近気になるところだ。『99%のフェミニズム宣言』も読んでいる。

 

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