コロナ禍アーカイブ

 「コロナ禍アーカイブ」を始めることにしました。
2020年に始まった「新型コロナウイルス」「Covid-19」のパンデミック。これほど世界中で病気が流行るとは、私はまったく思いませんでした。そんなのは「歴史」のなかの話だと思っていました。

 

2023年5月現在、マスクは「個人の判断」となり、ライブ会場や学校など多くの場で感染対策の規則が緩和され、「コロナ禍」は「終わった」ものとされつつあるように思います。私自身、あれほど嫌がっていた外出を再開し、まるで終わったかのように考えている時もあります。しかし、それが怖いのです。「コロナ禍」は多くの問題を浮き彫りにしました。要請により多くの人が失業または休業に追い込まれ、待遇のよい大企業に勤めている人と低賃金で働く非正規雇用の人やフリーランサー、自営業者との格差がはっきりと見えました。外国人差別がよりひどくなり、女性の自殺者は増加。それでもオリンピックなど政府主導のイベントは強行されました。あれほどに起こった「色々」を忘れてよいのか?と、この「空気」のなか思っています。

 

 私はパンデミックが始まった当初、大学生でした。新型コロナウイルスの流行り始めは留学を中断させられ日本に戻ってきた頃と重なっています。noteにも書きましたが、その際の隔離政策や政府の対応は酷いものでした。また、身近な人間には自営業の人が多く、彼女ら彼らが経済的に困窮するのを目の当たりにしました。私自身も就職先を見つけるのに苦労し、精神状態も一時期かなり悪くなりました。そうしたあれこれを、しかし、今忘れかけているように思います。何もなかったかのように卒業式でマスクを外し、娯楽を味わいに出かける。ウイルス自体は今も存在するのに。

 これまでだって、東日本大震災などの大規模災害や事件など多くの忘れてはいけないはずのことが起こりました。しかし、実際は「当事者」とされる人だけを置いて忘れていってしまっています。私自身、何もしてきませんでした。「コロナ禍」も、このままでは「そんなことあったね」で「元の日常」に戻ってしまう気がするのです。「そんなことあったねって笑いたいね」。2020年、自宅に閉じこもったまま、一緒に住んでいる人とはそんな風に話していました。そう言えるときが来たのかもしれない。でも、あれだけ多くのことがあったのに、なかったことにしてしまうのでしょうか?そのために、自分が撮りためていた写真や書いたもの、調べたことをここにアーカイブとしてまとめたいと思います。

今月のフェミニスト本『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど』

高橋幸『フェミニズムはもういらない、と彼女は言うけれど ポストフェミニズムと女らしさのゆくえ』を地元の図書館に頼んで買ってもらった。

 

ポストフェミニズム

 

「ポストフェミニズム」ということばを知ったのは河野慎太郎『闘う姫、働く少女』だったように思う。よく覚えておらず「ポストフェミニスト」と「アンチフェミニスト」とごっちゃになっていたけれど、この本を読んで整理できた。「ポストフェミニスト」はアンチのように政治的思想としてフェミニズムに反対しているのではなく、「もう男女平等は達成されたからフェミニズムは必要ない」「私はジェンダー差別を経験していない」といった個人の体験・経験に基づいた考えらしい。「女性は被害者である」というフェミニズムが掲げてきた(ように見える)女性像への反発もあるようで、「私は被害者ではない」「私は自分がしたいから料理をする。夫と私は対等である」といったポストフェミニストの主張が分析されていた。私が大学で教わっている先生は、「もちろん女性同士の間でも立場は異なるけれど、『女性として』苦しんでいることを主張していかなければならなかったのだ」ということをよく言っている。そこから「女性は被害者」と主張しているように思われたのかもしれない。でも、「押し付けられた女性像に反発する」のはむしろフェミニズムだと思う。フェミニズムはなぜこんなにイメージが悪いのだろう? 誤解している人がかなりいるように思う(フェミニズムが一枚岩でないのは当然として)。

 

メディアで表象された「ポストフェミニスト」として、ブリジット・ジョーンズが紹介されていたことが面白かった。今年、『高慢と偏見』を読んでから映画版の「ブリジット・ジョーンズ」を観てみた。仕事をやりつつ、禁酒やダイエットに励むブリジットはとても「共感できる」ものだったけれど、確かにブリジットの最終ゴールは「結婚(=安定)」だ。三部作の最終作には、ロシアンフェミニストのデモのせいで渋滞が起きるというくだりがあるらしく、そこで出てくるというやり取りにびっくりした。ロシア人への偏見も入っていそうだ。

 

日本では

2部構成で、1部は北米・ヨーロッパにおけるポストフェミニズム現象、2部は日本のポストフェミニズムについて書かれている。日本の方は、雑誌『CanCam』と「めちゃ♥モテ」ブームの分析と、ソフレ(添寝フレンド)の分析とインタビュー。日本では雑誌において「フェミニズム」ということばが慎重に避けられてきた、という指摘になるほどと思った。『Seventeen』にはたまにジェンダー問題の話が載っているけれど、「フェミニズム」として特集を組まれていることは見たことがない。

雑誌やポップカルチャーも経済と無縁ではない。

 

「ポストフェミニズム」に関し掘り下げてられており、面白かった!ラストの一文にも勇気づけられた。

経済とジェンダー、ポストフェミニズムも最近気になるところだ。『99%のフェミニズム宣言』も読んでいる。

 

www.koyoshobo.co.jp

 

 

今月のフェミニスト本 『これからの男の子たちへ』

月に3冊、性(ジェンダーセクシュアリティ)に関する本かフェミニズムをテーマにした本を読もうと決めている。期末試験と重なったせいもあり11月は1冊しか読めなかった。

 

太田啓子さんの『これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン』。とても良い本で、読んで良かったと思った。読みながら何度も「うん、その通りだ」と首肯する。新しい視点を得る、ということはあまりなかったけれど、それは私の周りに性差別を意識する「きっかけ」が良くも悪くも多いのだと思う。高校生の頃に読んだら「目からウロコ」だったはず。特に「炎上CM」のどこがおかしいのか、この本を読んだらよく分かる。「性的な表現だからだめ」なのではなく、何が性的なものとして表象されているのか、どこで誰を対象としているのかが問題。

 

たくさんの10代の人が読むといいなあと思っている。たとえ「男らしさ」のプレッシャーから簡単に自由になれないとしても、「男らしさ」(と言われているもの)は作られたものであり、本能や科学的なことではないのだ、と分かるだけでも気が楽になるように感じる。今自分をとりまく「男らしさ」と全く違う考え方はこれまでの時代や今ある国にも存在する。

 

対談がどれも面白かった。特に小島慶子さんとの対談は印象的なことばが沢山あった。

「社会を変える」というと大ごとのようだけれど、自分の言ったことは周りのひとに影響を与えるのだ。そのことを意識して自分の子どもと話しているお二人は凄いと思い、私も真似してみている……けれど、説教臭くなってしまう。「伝え方」がとても難しい。